ただ “ゆるんだ” だけでは、あなたの身体は使いものにならない!

      2018/11/28

 

どうも、理学療法士の魚住です。

 

このブログでは “ゆるむ” ことが重要である、ということを何度も書いていると思います。

“ゆるむ” ことができるから『軸』が形成される。

『軸』が形成されるから、“ゆるむ”  という相関関係があるわけです。

 

なぜ、『軸』というものがセラピストには必要不可欠なのか?

それは、こちらの過去記事を読んで頂ければ理解できると思います。

あなたが『軸』を学ぶなら、迷わずこの一冊を読もう! icon-share-square-o 

 

今回のブログでは “ゆるむ” ということについての話をお伝えしたいのではなく、一見矛盾していると感じると思いますが、“ゆるむな”ということについて書いていきたいと思います。

 

“ゆるむ” ことが何よりも重要である、ということを何度も書いているのに、“ゆるむな” ということを持ち出すのは、一体どういうことなのか?

そのように思われるでしょう。

 

その問いについては、今回のブログを最後まで読んで頂けると、『そういうことなのか!』ということが理解して頂けると思います。

 

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“ゆるむ” ことの重要性

 

“ゆるむ” ことの重要性については、過去記事において何度も取り上げています⬇︎

・あなたが『軸』を学ぶなら、迷わずこの一冊を読もう! icon-external-link 

・身体の原理を活かせば、相手と深く “つながる” ことができる   icon-external-link 

・人間は同調する生き物である!ゆえにセラピストの在り方が重要である  icon-external-link 

・セラピスト自身が調和した存在となり、エネルギーの高い場を創造すること icon-external-link 

・あなたの身体が使えていない事実を認識していますか? icon-external-link 

・『重力』を感じ取れない身体ゆえに『軸』なき存在として生きている icon-external-link 

・目の前の相手と『調和』できない問題の本質とは?  icon-external-link 

・身体が使えないセラピストが増産中!  icon-external-link 

・セラピストの在り方が、目の前の相手に及ぼす影響力を認識せよ!  icon-external-link 

 

 

それは、『軸』を形成するためには “ゆるむ” ということが欠かせない要素になっているから、という理由でしたよね?

 

『軸』がないことには、セラピスト自身の身体に緊張が高まり、

その緊張が、セラピストと関係する相手にセラピスト自身の緊張が接触の有無に関わらず伝染してしまう、ということだったと思います。

 

このように緊張状態の関係性しか構築できなければ、関係する相手の可能性や能力を引き出すことはできないのです。

 

詳しい話は、過去記事を参考にしてみて下さいね。

 

 

重力場という環境において柔構造であることが、調和するための必要な要素である

 

人間の身体は 柔構造 です。

 

人間の身体構造を活かすためには、『軸』というものが欠かせません。

 

重力場という環境の中で生きている。

その重力場という環境の中で、調和するということは骨の支持性を最大限に活かした姿勢であったり、動作を行うことが求められるわけです。

 

骨の剛性による支持性を最大限に活かすことがエネルギー効率の側面から言っても効率的な身体の使い方なのです。

 

非効率な身体の使い方というものは、

骨の支持性を活かすことのできない、筋肉の仕事量が過剰な状態に陥っている状態です。

 

本来は、骨を使って体重支持を行うところを

その仕事を筋肉を使ってしまっている。

 

そのような身体づかいをすることによって、

どんどん筋肉の緊張が高まり凝り固まっていく、

という問題が生じることになるのです。

 

 

骨の支持性を最大限に活かす身体づかいができている、ということは、

身体に『軸』が備わっている、ということでもあります。

 

『軸』が備わっている人は、見た目にも “柔らかい” 印象を受けます。

 

赤ちゃんや子供、トップアスリートを見ていると、ゆらゆらした感じがあると思います。

それは、筋肉の緊張で身体を固めた姿勢保持や動作という、身体づかいをしていない、ということなのです。

 

 

筋肉の緊張を最小限とし、骨の支持性を最大限に生かしているから絶えず、揺れ動いているのです。

それで、バランスを取っている。

 

重心線が、支持基底面内に収まっていれば、転倒することはないし、

動き続けているから、筋肉が凝り固まるということがないのです。

 

ゆるんでいる人の特徴は、支持基底面の中で重心線が絶えず移動し続けているから、

見た目にも、ゆらゆらしているように映るのです。

 

 

その対極にある固い印象を受ける人は、柔構造とは真逆の筋肉の緊張で “がっちり” と固めた、固い印象を受けますよね?

 

そのような固い印象の人も、重心線の移動は起こっているのですが、

それが見えないくらいに筋肉の緊張で固めた姿勢となっているのです。

 

 

なぜ、法隆寺の五重塔は自然災害に強いのか?

 

柔構造で思い出されるのは、法隆寺の五重塔です。

この五重塔は、世界最古の木造建築と言われているものです。

 

高層な建造物であるにも関わらず、地震や台風などの自然災害に対して驚異的な強さを発揮しているのです。

それはつまり、柔構造がゆえに強さを発揮している、といえるのです。

 

これがもし、人間で言うところの筋肉でがっちりと固めた構造をしていたとしたら構造物としては崩壊しているでしょう。

 

 

外的な力が加わったときに、柔構造でないと、力が分散されないので構造全体にダメージを受けることになるのです。

柔構造だと、外力は分散されます。

 

 

五重塔は、真ん中に『芯柱』というものがあり、

五層からなる、それぞれの階とは直接連結していないのです。

 

唯一、一番上の5階部分が芯柱と連結しているらしいのですが、

それは、やじろべいを逆にしたように傘で蓋をするかのような感じで連結しているのです。

 

五重塔の構造については、以下の記事にて詳しく書かれています⬇︎

五重塔は耐震設計の教科書 icon-external-link 

興味のある方は、読んでみて下さい。

 

 

芯柱と、直接はそれぞれの階層で連結していない。

一番上の5階部分だけで連結していることで建物全体の重さは、傘で蓋をするように芯柱に対してかかっているということになります。

 

建物に対しての外力、揺れはこのような柔構造となっていることで、

それぞれの階層同士がズレ合うことで建物全体を崩壊するような力とはならずに分散されます。

 

 

構造物を破壊するために手っ取り早いのは、建物自体の中心を破壊することです。

 

建物の芯柱となる部分に力を加える、ということが具体的なことといえるでしょう。

 

このような観点からみた時に、

五重塔は、芯柱と連結していない構造を取っているために何らかの外力が加わっても、建物の中心には大きな力が伝わらないようになっています。

中心に伝わる前に、他の部分で力が吸収される、

ということになるからです。

 

 

これは、柔構造でないことにはできない

耐震構造ですよね?

 

もし、これが “がっちり” と固められた、剛構造であれば何らかの外力が加わった時に、構造的な “遊び” がないがゆえに、すぐに、中心に大きな力がかかってしまう。

そして、構造物が破壊、倒壊してしまう、

ということにつながるのです。

 

 

このように、人間の身体も構造としてみた時に関節に “遊び” があるわけです。

 

内臓でいえば、内臓を包む膜であったり、

内臓と膜との間に体液があったりするわけです。

筋肉によって覆われている、ということもあるわけです。

このように、本来は柔構造となっているのです。

 

 

しかしながら、日常的に筋肉を緊張している、

という状態で生きているので、柔構造が成り立っていない。

 

ゆえに、刺激に対してもろく、

簡単に、構造自体が揺らいでしまうことになるのです。

 

その結果、心身ともに不安定な要素を常に抱えながら生きている のです。

 

 

セラピスト自身の身体が剛構造となっていることの弊害とは?

 

具体的に、このことをイメージできない、という思いがあるかもしれません。

 

これを臨床の場面に当てはめて考えてみましょう。

柔構造ではないセラピストが、目の前の患者さんに接触したとします。

 

セラピストの接触は、身体が緊張状態にある上での接触なので、

当然ながら患者さんからすると違和感のある、不快な接触となります。

 

それは、固い接触であるということになり、

とてもじゃないけど受け入れがたい接触になります。

 

 

そのような接触刺激は、患者さん自身のバランスを大きく崩すことになるので、受け入れられない。

ゆえに、セラピストによって加えられた刺激に対して患者さんは、押し返すという反応を起こします。

 

患者さん自身のバランスを回復させるために、姿勢反射が発動するわけです。

 

 

患者さんから押し返される、という刺激をセラピストは受けるわけですが、

柔構造ではないセラピストは、その力を受けた時に簡単に身体の中心にまで力が伝わることになります。

 

柔構造を持っていれば、身体の表面で力を吸収したり、分散させることができるのですが、

柔構造ではないので、簡単に中心まで力が伝わってしまうのです。

 

それは、セラピスト自身のバランスが大きく崩されることになる。

 

 

 

それでは、何もできなくなると同時に、

自分自身の安定性が、著しく低下するので転倒を防ぐために、セラピスト自身の身体の緊張はより高まってしまうのです。

 

セラピスト自身のバランスを回復させるために筋肉を緊張させて身体を固めることで対処しようとする 、ということです。

 

 

自分自身の身体バランスを回復するための方法として柔構造を持っていないと、

身体の緊張を高めて、固めることで転倒を防ごうとする 、というプログラムを使ってしまうのです。

これを、どんどん強化していく方向性になってしまうのです。

 

セラピスト自身の緊張が、相手の緊張を高め、相手から受ける力を受けて、さらにセラピストが緊張する。

このような負のスパイラルに陥ってしまうわけです。

 

そうなってしまうと、何もできなくなる、ということは経験的にも理解できるのではないでしょうか?

 

 

力と力のぶつかり合いしか起こっておらず、何も適切なハンドリングが行えていない。

 

それは、柔構造を持っていない。

柔構造を発揮できるような、身体の状態となっていない、ということなのです。

 

柔構造を持っていれば、患者さんから力を加えられても落ち着いて対処できる。

 

自分自身の中心がブレないのですから、

落ち着いて対処できますよね?

 

 

 

人間は転倒を恐れる生き物ですから

転倒しそうになると、意識が全て、転倒を防ぐために集中してしまうのです。

 

そうなってしまうと、関係している相手のことなんて何も感じられなくなってしまうのです。

 

相手のことよりも、まずは自分自身の安全確保が最優先事項になってしまう のですから。

 

このような観点から、“ゆるむ” ということが

いかに重要なことなのかを理解して頂けたのではないでしょうか?

 

 

 

自分自身が不安定な状態に置かれる。

それは、人と関係する以上、常に付きまとう課題 なのです。

 

その課題をクリアするには、身体の構造という観点からいうと柔構造が欠かせない、ということなのです。

 

柔構造を手に入れる、取り戻すためには

“ゆるむ” ということが欠かせない 、という図式ですね。

 

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ただ “ゆるむ” ということだけでは、身体は使えない

 

さて、“ゆるむ” ということの重要性は理解できた。

しかしながら、それは自分自身に加えられる力に対して不安定性を解消するための、自分自身のバランスを確保するための必要な要素の話です。

 

 

ここからが “ゆるむな” ということの話になります。

外力の吸収、という観点からは柔構造は、とても重要な要素です。

 

しかしながら、ハンドリングや手技などをやろうと思ったら、柔構造のままでは、力を伝えることができない 。

これは理解できるでしょうか?

 

 

分かりやすい例でいうと、鎖です。

鎖は、ある意味 “ゆるんだ” 存在であると言えるでしょう。

ただの物理的な存在。

“モノ” なのです。

 

何も意図も、意思もないし、意識がない。

それは当たり前のことですよね。

 

でも、もし鎖に意思や意図があって、目的を成し遂げるための動かす筋肉みたいな構造があったらどうでしょうか?

 

長いホースに水を流すと、

まるで生き物のように動いていくように鎖に意識があれば、蛇みたいに動き出しそうなイメージは容易に想像できますよね?

 

 

ここで何が言いたいのかというと

柔構造のままでは、遊びがあるところで力が途切れてしまって、力を出すことができない、ということなのです。

 

身体というパーツをつなげること、連動することによって初めて身体から力が出すことが可能となる。

 

 

“ゆるむ” ということは重要なのですが、

“ゆるんだ” ままだと、身体は使えない、ということなのです。

 

身体を効率良く使うためには、

身体のある部分を “点” だとしたら、

その  “点” 同士をつなげることで “線” をつくり出さないといけない のです。

 

背骨からの力を、肋骨、肩甲骨、上腕、前腕、手と、ざっくりとではありますが、

このような感じで、点と点とをつなげて、線にしていく、というプロセスが欠かせないのです。

 

 

この “線” をつくり出せないと、四肢末端での身体操作となります。

手先、足先で頑張る、という身体づかいですね。

 

そのような身体づかいをしてしまうと、体幹部が固まってしまいます。

 

 

問題はそれだけではありません。

セラピスト自身の接触が固いものになってしまう。

 

それでは、相手は受け入れることはできないのです。

ゆえに、緊張状態をつくり出してしまう、

ということになる。

 

 

矛盾は矛盾のままで問題とはならない

 

“ゆるむ” ということと、“ゆるむな” ということは矛盾しているものです。

相反関係であると言えるでしょう。

 

・この矛盾とどのように向き合うのか?

・この矛盾をどのように乗り越えるのか?

そこが、とても重要になってきます。

 

どちらかに偏ってしまってはいけない。

どちらも内包したまま、問題を乗り越えなければいけない。

 

 

そんなことは可能なのでしょうか?

 

どう思いますか?

 

 

結論から言うと、可能なのです。

 

柔構造を確保しつつ、連動して使える身体。

そのような身体を手に入れれば良いのです。

 

言葉では簡単に書けますが、

これを 実際に体現するとなると、難しい 

相当な時間と労力を費やす必要があります。

 

 

それができないから、セラピストのほとんどが身体が使えない状態になっているのです。

“お粗末” な身体になっているのです。

 

相手を感じることのできない “不感症” な身体であり、身体操作が非効率で、違和感や不快感しか与えない身体づかいのセラピスト。

そんなセラピストばかり増産しているのです。

 

 

身体を細分化するためには “ゆるむ” 必要がある

 

“ゆるむ” という段階があって、

初めて 組織分化 がなされます。

 

骨は骨、筋肉は筋肉。

身体中で凝り固まった筋肉が、解放されること。

それが “ゆるむ” ということです。

 

凝り固まった筋肉がゆるまないことには、

脳に、それぞれの組織が、組織として認識されない。

 

筋肉なのに、凝り固まっているがために骨のように支持組織として認識されていて体重支持に使われている。

 

そのような状態にある限り、身体はゆるまないのです。

骨という支持組織を最大限に活かすことができないのです。

 

骨で “立つ” という状態を手に入れて初めて柔構造が成り立つ のです。

凝り固まった筋肉によって、縛り付けられている身体には柔構造は成立しないのです。

 

凝り固まった筋肉から、あらゆる組織が解放されることによって、

身体を連動して使うための “点” なる部分を知覚することができる。

 

ゆるまないと、身体のパーツを大まかにしか捉えることができないのです。

 

 

 

ゆるんでいる、という状態は

脳にとって、ドットが無数に存在している状態といえるでしょう。

 

ゆるんでいない状態というのは、ドットとドットの境目が分からないくらいにひっついてしまっていて、一塊になっている状態といえると思います。

塗り絵でいうところの、ベタ塗り状態といえるでしょう。

 

 

ゆるんだ身体というのは、細分化している状態 です。

それは、脳にとってもある部分に意識を向けても細かく感じ取れるし、動かすことのできる、意識の通った状態となっているのです。

 

ゆるんでいない身体というのは、意識の通っていないただの物体みたいなイメージですね。

ただ重苦しいだけの存在でしかない。

 

そういう部分って、身体に意識を向けてみるとありますよね?

 

 

実体としての身体、物理的な存在としての身体はあるけど、そこを感じることができていないし、使えない部分のことです。

そこには意識が通っていない。

 

そんな感覚があると思うのです。

そこが、問題なのです。

 

死に体 と言えるでしょう。

 

身体の末端部で身体操作をしてしまうのは、低次な身体づかいである

 

身体を “ゆるめる” ことと、“ゆるめない” ということ。

それが、同時に身体にないといけないのです。

 

必要なところが、必要な時に協調性をもって、連動する身体 を手に入れる必要があるのです。

 

 

ここで、大事な視点は、手脚で頑張って、何とかしようとする、という身体づかいになってしまってはいけない、

ということです。

 

手脚はあくまでも、身体の中心部から生み出した力によって “動かされる” という状態にあること が重要なのです。

 

手脚で “動く” ということではない、ということの違いをきちんと認識して下さいね。

 

 

 

多くのセラピストが、手脚で何とか頑張っている。

手脚で頑張って、ハンドリングや手技をやろうとしている。

そのような身体づかいになってしまってはいけないのです。

 

身体の中心部から力を生み出し、その力が身体のパーツが連動して伝わった結果、手脚が “動かされる” という状態を手に入れる必要があるのです。

 

 

もう少し、具体的にいうと

多くのセラピストが陥っている問題として、セラピストが接触した部分で何とかしようと頑張っている。

 

セラピストが相手の身体と接触したところで、

何か操作をして、力を伝えようともがいている。

 

そういう状態になっているのです。

それでは、何もできないのです。

力と力のぶつかり合いしか起こっておらず、

その状態から抜け出せないのです。

 

 

重要なことは、身体末端部で身体操作を行うのではなく、

身体中枢部から生み出した力を、末端に伝えて身体操作を行う、ということ なのです。

 

このような身体操作ができるのかどうか?

 

 

できないセラピストばかりだと思います。

なぜなら、接触面で相手の力とぶつかり合いを起こしている、という問題を生じさせているということは、身体末端部で、頑張っている、ということを現しているのですから。

 

相手に、セラピスト側の動きがバレてしまっている、ということなのです。

バレているから、力で抵抗されるのです。

 

 

関係する相手と対立しない身体を手に入れよう!

 

力の出所が分からない。

 

このような身体操作ができれば、相手の緊張を高めることなくハンドリングがうまくできるようになるでしょう。

そのために必要な要素が、身体中枢部から力を生み出していく、ということなのです。

 

身体末端部で力を出してしまっていては、簡単に相手に力の出所を察知されてしまい、動きの “起こり” を止められてしまいます。

 

 

このような経験は、臨床の場であると思うのです。

セラピスト自身が、接触面から相手に力を伝えようとした際に、その瞬間、または直前から抵抗が始まる、という経験です。

そうやって、力と力のぶつかり合いが起こっている、という経験です。

 

それをクリアしようと思ったら、力づくでの操作は、無意味ですよね?

 

相手の緊張をより高めた状態では、何も良いものを引き出すことはできないからです。

 

 

要するに、関係する相手から、

セラピスト自身の体が捉えようのない身体となること

それが重要なのです。

 

相手と対立しない身体。

 

 

そのためには、柔構造の身体と、全身を連動して協調的に使える身体の両側面を内包した身体をつくり上げていく必要があるのです。

捉えようのない身体 を手に入れることができれば、関係する相手は、力の入れようがないのです。

 

それはつまり、緊張状態を生み出さない、ということになるのです。

 

このようなことから、“ゆるむ” ということと “ゆるむな” ということの両方が必要である、ということを理解して頂けたのではないでしょうか?

 

まとめ

 

今回、ここまでお伝えしてきたことを知識や情報として頭での理解は進んだかと思います。

 

しかしながら、腑に落とせていないと思います。

なぜなら、身体で理解していないから 

 

あなた自身が、あなたの身体を通して理解すること。

あなた自身の身体で、体現すること。

それが何よりも重要なのです。

 

 

最後に、今回のブログでお伝えしてきたことを

より具体的に書かれている本をご紹介しておきます。

この本の中には、身体を連動して使えるようになるための

具体的な方法が、たくさん書かれています。

 

しかしながら、読んでちょっとかじった程度で身につけることができるようなものではない、ということを理解して下さいね。

 

簡単に、楽に手に入れることができるようなものは、それは本質ではないのです。

 

時間と労力がかかるもの。

一生をかけて追求や探究していくものなのです。

 

それを踏まえて、こちらの一冊をぜひ読んでみて下さい⬇︎

新世紀身体操作論【考えるな、体にきけ! 本来誰もに備わっている“衰えない力”の作り方! icon-book  

 

ということで、今回のブログは以上になります。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

 

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